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富樫勇樹(バスケ)のwiki風プロフや家族は?美容室や学歴も調査!

スポーツ

東京五輪に出場を決めたバスケットボール選手の富樫勇樹さんが、今話題になっています。

攻めの姿勢でシュートを決め、バスケットボール選手としては大きくない身長でコートに立つ姿に一目置かれる存在な富樫勇樹さん。

富樫勇樹さんがどんな人なのか、wiki風プロフィールや経歴が気になりますよね。

今回は、富樫勇樹選手のwiki風プロフィールをはじめとしたこちらの情報をお伝えしていきます。

  • 富樫勇樹(バスケ)のwiki風プロフィールは?
  • 富樫勇樹(バスケ)の家族は?
  • 富樫勇樹(バスケ)の美容室は?
  • 富樫勇樹(バスケ)の学歴は?

富樫勇樹(バスケ)のwiki風プロフィールは?

さっそく、富樫勇樹選手のwiki風プロフィールをご紹介していきます!

プロフィール
名前 富樫勇樹(とがしゆうき)
生年月日 1993年7月30日(27歳)
出身地 新潟県新発田市
身長 167cm
体重 65kg
血液型 AB型
所属 千葉ジェッツふなばし

富樫勇樹さんは新潟県出身のプロバスケットボール選手です。

プロの選手としては身長が167cmと低めではありますが、それをカバーするほどのシュート力が高く、日本人2人目としてNBA契約をされています。

富樫選手がバスケットボールを始めたのは小学生からですが、すでに幼少期から家庭の中でバスケットボールに触れていました。

富樫勇樹選手の父親が、バスケットボールの監督をされていることもあり、父親が自宅のテレビでバスケの試合を研究しているときに、富樫選手も一緒に見ていたそうです。

2歳からおもちゃのバスケットリングにワンハンドフォームでシュートを打っている姿に、父親も驚いていたそうです。

バスケに囲まれた環境というのもありますが、このころから富樫勇樹選手のバスケセンスが磨かれていたんですね。

現在は、千葉県船橋市をホームとする千葉ジェッツと契約していますが、これまでの富樫選手の経歴をご紹介していきます。

富樫勇樹(バスケ)の経歴は?

富樫勇樹選手は小学校1年生からミニバスを始めています。

小学4年生には、周りと比べて別格と呼ばれるほど上達しました。

富樫勇樹選手の父親は「体格差のある6年生とせりあってボールを取られたところを見た記憶がない」と語っているほど、富樫選手のバスケットボール選手としての成長の早さがうかがえます。

中学校は父親が監督を務める新潟県新発田市立本丸中学校に進学しました。

本丸中学校は住んでいる地区の隣の地区でしたが、富樫選手の父親は学区を変更してまで来いとは言わなかったそうです。

バスケで全国大会まで進出している中学校だからこそ、富樫選手は本丸中学校を選んだのでしょう。

中学でのプレイに関して父親は「ゲーム中、人と見ているところが違うので、驚くような展開が生まれる」と富樫勇樹選手のプレイに関して語っていました。

バスケットボールの実力もメキメキと上達し、全国大会では優勝に導きました。

高校はアメリカに留学し、モントクリスチャン高校に18歳まで通っていました。

NBAの最少年得点王のケビン・デュラントやグレイピス・パスケス選手など、有名なバスケ選手を輩出した名門校であり、当時はバスケ留学の選択肢として選ばれていました。

富樫選手は留学2年目からスタメンとして活躍し、在学中に試合で全米ランキング2位という結果に貢献しています。

当時は日本人でバスケ留学をする人は少なく、身長も低いハンデを持っていた中でスタメンを獲得した富樫勇樹選手は、相当な努力が必要だったのではないでしょうか。

高校卒業後は日本に帰国し、アメリカ留学を勧めた恩師である中村和雄コーチのチーム、bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団します。

当時の日本のトップリーグは2つあり、NBLとbjリーグでした。

NBL:企業チームで構成されたチームで外国人選手が少ないリーグ
BJリーグ:興行を主にした外国籍選手が多数在籍した派手な試合が多いリーグ

アメリカの留学時代では、主にパス回しが多かった富樫勇樹選手ですが、秋田のbjリーグからは積極的にシュートを打つようになります。

中村監督から「ちびが点数取らなきゃ、いる意味がないだろ」と、厳しい指導があり、どんな瞬間でも、シュートを狙いにいくというメンタリティが身についたようです。

プロ入り1年目から新人賞を獲得し、bjリーグオールスターリーグではMVPを獲得するなど、大きく活躍されました。

その後、NBAに挑戦するため秋田を離れ、NBA登竜門サマーリーグに挑戦するために渡米します。

NBAの下部組織であるテキサスレジェンズと契約しプレイしますが、怪我(足首の捻挫)で途中離脱してしまいます。

しかし、レジェンズ時代には1試合12得点というシーズン最多得点を獲得し、チームに貢献しました。

その後は、NBLである千葉ジェッツと契約し、チームを初優勝に導いたり、スリーポイントシュートを1試合で最多11本決めるなど大いに活躍しました。

2019年には、Bリーグで日本人初の一億円プレーヤーになり、より一層、富樫勇樹選手の名前が知られるようになります。

富樫勇樹選手のように身長にハンデがあったとしても、世界レベルで活躍できるという証明になったのではないでしょうか。

富樫勇樹(バスケ)の家族は?

富樫選手の家族をご紹介していきます。

富樫選手の家族構成は父母と兄弟姉妹がいることが分かっています。

父:富樫英樹さん

母:富樫恵子さん

姉:富樫早紀さん(富樫選手の3歳年上)

妹:富樫南さん(富樫選手の3歳年下)

富樫選手の家族に共通していることは、家族全員がバスケ経験者だということです。

さすが、プロのバスケットボール選手が育った環境といってもいい家族環境ですよね。

父親である英樹さんは、地元では名の知れた中学のバスケの監督です。

新潟県新発田市立本丸中学校に16年赴任して、全国大会に10回出場しそのうち2回優勝へ導いています。

富樫選手も父親が赴任する中学校に進学しバスケ部に入りましたが、父親の英樹さんは、家族だからではなく第3者として富樫選手を一選手として指導していたそうです。

母親の恵子さんも大学までバスケットを経験されています。

姉の早紀さんと妹の南さんは、富樫選手と同じく学生時代にミニバスを経験されています。

富樫選手がバスケをはじめたきっかけに、大きく関係している家族の存在。

家族がバスケを通してつながり、大きい支えとなっていたからこそ、プロとして富樫選手が大きく成長したのかもしれませんね。

富樫勇樹(バスケ)の美容室は?

富樫選手の人気の一つでもあるのが髪型です。

いつも試合に出場する時は、きっちりセットされていて、どんなに激しいプレイをしていても崩れません。

しかも、髪型がオシャレ!

最近ではクラシカルなツーブロックの七三分けスタイルを多く見かけますが、富樫選手の爽やかさとオシャレさがとても印象的です。

富樫選手はどこの美容室に通っているのか気になる方も多いのではないでしょうか。

そこで、富樫選手がどこの美容室に通っているのか調べてみました。

 

調べた結果、通っている美容室は特定できませんでした。

しかし、美容室で富樫選手の髪型をオーダーする方が増えているようです。

富樫選手にとって、髪型をセットして決めるとシュートの得点が決まったり、より気合が入るなどのゲン担ぎがあるのかもしれませんね。

ちなみに富樫選手がbjリーグ時代に入団していた、秋田ノーザンハピネッツのホームである秋田県は、人口一人当たりに対する美容室の数が全国一位です。

身だしなみにこだわる県民性が高いようなので、bjリーグ時代から髪型を意識するようになったのかもしれません。

富樫勇樹(バスケ)の学歴は?

富樫選手は新潟県新発田市立本丸中学校を卒業後、アメリカ留学でモントクリスチャン高校に18歳まで通っていました。

このモントクリスチャン高校が富樫選手の最終学歴になります。

モントクリスチャン高校は、アメリカのメリーランド州にあるクリスチャンスクールですが、当然ながら公用語は英語になります。

富樫選手は入学時から英語が話せたわけではありませんでした。

なので、アメリカ留学1年目はyes、noでの受け答えが主だったようです。

留学2年目からは、バスケチームでスタメン入りしているので、バスケをやりながら英語の勉強をするというのは、相当大変だったのではないでしょうか。

富樫勇樹(バスケ)のwiki風プロフや家族は?美容室や学歴も調査!まとめ

今回は、富樫勇樹選手についてこちらの情報をお伝えしました。

  • 富樫勇樹(バスケ)のwiki風プロフィールは?
  • 富樫勇樹(バスケ)の家族は?
  • 富樫勇樹(バスケ)の美容室は?
  • 富樫勇樹(バスケ)の学歴は?

日本人として、世界レベルでプレイする先駆者として活躍されていることに称賛しますし、これからの日本を背負ってプレイしていく一人として目が離せませんね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。